看護師社長物語 Vol.193

派遣先では、最後の最後までグループ病院に留まるようにと説得をされたが、どこも東京に帰ってしまえば通える距離にはなかったので丁重にお断りすることにした。数ヶ月の経験ではあったが、この病院で見たこと、体験したことが、その後のより強いモチベーションに繋がっているので心から感謝している。いよいよMBAに通う準備を開始するために学校に通っている間の住居と、職場が必要になった。住居はその当時は日本では新鮮だった、半シェアハウス的な物件に決めた。部屋にトイレやお風呂は完備しているが、キッチンと洗濯機は共有するというスタイル。

(器もユニークで美しいフォー)

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職場は、まずは派遣で美容のクリニックに通いながら、じっくり探すことにした。夜間は学校に通う都合があったので、昼間だけの職場であること、極力、起業後に役に立つ職場であることなどを条件に、当時お世話になっていた派遣会社の中で、一番大きかった会社へ履歴書を送った。人事の方の面接後、最終面接で、女性が面接してくれ「起業したいのでこちらで勉強したいんです」とストレートに伝えたら「いいんじゃない!」と明るく回答してくれたのだが、入社が決まり驚いたのは、その女性が会社の社長だった。この会社は有難いことに、社員でありながら、休みの日には派遣看護師として、案件の中から仕事に行くことも出来たので一石二鳥に学べるということでもあった。

看護師が勤務出来る職場の仕事はなんでも見ておきたいと思っていたので、この上ない職場に就職出来て、これで起業までここで学べる!と安心していた。

看護師社長物語 Vol.192

派遣先の病院では、頻繁に緊急手術が入っていた。予定手術以外の緊急手術であるが、当然ながらスタッフは限られている。スタッフも夜中、朝方に一旦、寮に帰るということや、そのまま継続して翌日を迎えるというようなこともあったので、とても疲労していた。常勤スタッフの支えになるためにも、周辺業務は極力終わらせたいと思うが、結局、自分も次から次へと与えられた業務に振り回されてしまい、周囲を気遣うことすら出来なくなっていった。

(研修では当時の話もすることがあります)

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そんな時、とうとう一番若いスタッフが倒れてしまった。みんな顔色は悪かったが、思えば一番顔色が悪かったかもしれないと後になって反省した。疲れていようと、顔色が悪かろうと、とにかく次々と来る手術に対応し、患者さんの命を救うために必死になって働き続けたスタッフが結果として、入院してしまうという悲しい現実だった。自分たちはいったい何をしているのか。。。と考え、自分も倒れないうちに一旦仕切り直そうと決めた。

ただ、当然ながら、メンバーも揃っていないのに、直ぐには戻れなかったが、現状の危機感をリーダーに伝えることで、他のグループ病院からスタッフが応援に来てくれるということになった。応援スタッフが数名来てくれるだけで、手術室の雰囲気がガラッと変わった。

やっぱり不足人員だけでなんとかしていては、患者さんに対して安全な医療は提供出来ず、スタッフは倒れ、誰も幸せになれないのだと実感したのであった。

看護師社長物語 Vol.191

派遣で行く先の病院は、寮に布団のみならず何でも揃っているということだったので、キャリーバッグ一つで訪問した。病院のある駅に、事務の方が迎えに来てくれていて、病院や寮を案内していただいた。寮は普通のアパートで、事前に聞いていたとおり、洗濯機から洗濯洗剤に至るまで何でも揃っていた。部屋で持参した少ない荷物を整理しながら、目標のためとはいえ、不思議な場所まで来たものだなあと思い部屋を眺めた。

(海外の行列ラーメン!&ミニカレー)

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しばらくすると、再び病院の方に呼ばれ、看護部長と面会させていただくことになった。とてもソフトで温かい笑顔で迎えていただいた。今までの看護現場での話、将来したいことなどを話たが、部長はどうやら派遣期間後も引き続き病院で働いて欲しいと思っているようだった。人手不足の話を聞いて、申し訳なくも思ったが、これまた流されてしまってはと思い、丁重にお断りをした。その夜は、看護部長がひつまぶしのお店に連れていってくださり、長期間は勤務出来ないのにこれまた申し訳なく思いながらも、美味しく本場のひつまぶしをいただいた。いよいよ、翌日から勤務開始ということで、期待と緊張がまじりながら愛知での長い1日が終わった。

翌朝は、早速、手術室にて勤務となったのだが、当然ながら勝手が違う。ある意味、他の派遣の仕事をこなしていたのが嘘のように、全てに戸惑った。以前なら同様の規模の病院で5-6人の助手さんプラス看護師で行っていた中央滅菌材料室の業務を看護師一人でしかも半日で行うという荒行のような状況だったり、血管造影の部屋も手術室看護師が担当していたり、手術の数と看護師の人数が明らかにあっていなかったり、とにかく盛り沢山で1日にして昨日のひつまぶしパワーは切れてしまった。

東京で体験していた人手不足とはレベルの違う人手不足の現状を目の当たりにし、より一層、起業への決意がわいていったのであった。

看護師社長物語 ~番外編 その10~

無駄な体験などないと思う一つがニュージーランド留学だ。

本当の目的は、起業の勉強をしにMBAを取得出来る学校を受験する。その受験科目であった英語を受験レベルまで引き上げることであった。ところが帰国していざ受験となった時には試験科目から英語は外されていた。ここだけを捉えると、何とも無駄な時間だったようにも思うが、実際にはここで出逢った人、体験がその後の人生に大きく影響を与えることになった。

(ホームステイではなく、学生寮に住むということで得られた体験も多い)

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(緊張して臨んだ最初のテストでは、自己紹介もままならず、初級クラスへ振り分けられた)

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中学生の時に、父からは英語は全員同時スタートなのだから、頑張って勉強して、自分にも教えて欲しいと言われ、母からは、せめて英語と中国語とコンピューターだけやってくれれば生きていけると言われていたのに外国語なんて大嫌い!海外なんて行かないから必要ないと思って二人の言葉を聞いてはいたが実行はしなかった。日本大好き、海外は行かないを30歳まで豪語し、職場の同僚が「ハワイに行く」とか「ヨーロッパに」など言っても「食事は何を食べるんですか?」とか「綺麗なビーチなら沖縄で良い」「美味しい食事と緑なら北海道でいい」とまたまた聞く耳を持たなかった。

ところが、そんな考えを勝る目標が出来た途端「留学する!」と決めたので、先輩や同僚はとても驚いていた。え?会社を辞めるの?海外絶対に行かないんじゃなかったの?と今でも呆気にとられた同僚の顔は忘れられない。遊びに行くなら日本国内がいいが、必要な英語を短期間で取得するのだから、行きたいとか、行きたくないとかという感情はその際、どうでも良かった。

(週に3回は食料を購入していた寮の目の前にあるスーパータイピン)

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目標を持つことの大切さは自分では理解しているし、自分からすると突然のことではないのだが、周囲がその考えを理解し辛かったり、ついてくるのが難しいと考える気持ちも今では少しわかる。そういう意味では、随分と沢山の人を今までも驚かせて、心配させて「大丈夫なの?」と思わせてしまったものだ。

(ほぼ週1回ペースで食べていたバーガーキング)

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ともあれ、海外旅行の経験ゼロからいきなり一人で飛び出したことは、目標なしには成し得なかった。異文化にふれ、日本をより思うようになり、視野の狭さを痛感したあの体験が、今のスタッフと共に働くことに繋がっていることは間違いない。世界を意識し、他国の成功例や失敗例も含めて学び、独自の解決方法を編み出すということの一歩は、あの日、青い空のオークランドに降り立った時から始まったのだと思う。

看護師社長物語 Vol.190

早朝、ようやく研究計画書を書き上げ、ネットカフェを出た。外は眩しく書き上げた心地よさもあって、気分は爽快であった。印刷して読み返してみても、思いが込められていると確信できた。それ以外の受験に必要な書類を全て揃えて郵送した。テストは英語がなくなったので、筆記はなく、後は面接だけだった。

(どこの国でもラーメン屋を探す)

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面接試験では、緊張はしたが、得意の面接でもある。今までも筆記さければ、殆どの試験には通ってきた。とにかく今はビジネス知識はないが、会社を作りたいこと、やる気と根性だけはあることなどを積極的に伝えた。合格発表の日は、学校の掲示板に受験番号が張り出されるということだったので見に行った。見事合格!

これで会社を作るための第一歩を踏み出すことになった。とはいうものの、大学院は学費も高く、次の試練は費用の調達となった。まずは大学院主催の学費半額免除プログラムに申し込みを行う。次は通常の奨学金、それでも入学金などは準備しなければならないので、派遣看護師として、あちこちの職場を掛け持ちしつつ働いていた。

ある時、一つの派遣会社から、地方短期勤務で高収入のお知らせがあったので、それに申し込んだ。愛知県の病院で勤務するというもので、期間も決まっているし、入学前にはお金を作って帰ってこれる!と思い、出稼ぎ感覚で愛知県に出発したのであった。

看護師社長物語 ~番外編 その9~

 

長年、神奈川に住んでいた両親であったが、現在は香川県に移住している。両親が住んでいるとはいえ、地元でもないし、遠いので香川県には訪問したこともなかったが、優しい姉が両親を気遣って、顔を見に行って欲しいと言ってきた。姉は私に将来的には、介護施設の経営もして欲しい、そこで私に雇ってもらって、ケアスタッフになり、両親も入居させて、自分が担当して面倒をみるというのが夢だという。そういう夢を他の誰からも聞いたことがないが、姉らしい考えに驚きはしないものの、どこまでも優しい人なんだなと思った。

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会社を設立したころに、姉に「友ちゃんのご飯を作ったり面倒みてあげられたらいいのに」と言われた時も、凄い人だなと思ったが、常に家族思いの性格は継続しているようである。そんな訳で、姉の言うことをきかないわけにもいかず両親を訪ねることとなった。事前に気にしていたのは、周囲の環境的なことであったが、それも実際にみて見ると心配にはおよばないほど、環境もよさそうで、何でも揃っていて便利に暮らしているようである。

子育て時代は、自分の性格を変えてまで、子供の将来を考えて行動していた母も、今では自由を満喫しているようであるし、それをサポートする父も相変わらず母に振り回されながらも、心配性を楽しんでいるようであった。少なくとも姉という存在なくして成し得なかった訪問である。

看護師社長物語 ~番外編 その8~

物心ついたころから、服を選ぶのも自分の要望を取り入れてもらったが、かなり小さい時もこういう服を着ていたのかと写真を見て思う。まるで昔の新人演歌歌手のような出で立ちであるが、ズボンが好きだったのは、男の子が欲しかった親の趣味でそうなったのか?元々の気質でズボン好きだったのかは定かではない。ともかく、小さい頃から「ケの日ハレの日」とは何か?ということを意識するようにと母から教えてもらった。

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ハレの日に、普段通りの服装で行事に参加をしない。行事の意味や、参加する行事への敬意を払うことなどもこの中に含まれていた。中学生、高校生になれば制服が正装となるが、制服がない時はどうするのか?ということも思えば教えてもらっておいて良かったと思う。その流れもあってか、常に考えて行動をしなさいとしつけられた。何故この服を着るのか?何故これを食べるのか?それを考えた上で行動すれば、作法も吸収しやすいということだったのかもしれない。

学校で教えてもらう勉強とは違い、親というのは社会に出てからも人様に笑われない人間に必要な知識を、小さいうちからつけていくという地道な作業が必要なようだ。

看護師社長物語 ~番外編 その7~

母のことをブログで書くにあたって、改めて過去の写真を見返してみると、これが案外、自分のことを見直す機会にもなっている。よく、人生の時間はあっという間だとか、気持ちは若いままだとか、やり残したことがあると先輩方に伺うことがある。それが今回は少しかもしれないが理解出来ると思うようになった。性格や、気質のようなものは案外、子供の頃から、変わっていないものだし、その当時に考えていたこととが写真から鮮明に思い出されても、今に確実につながっているのである。

視界を邪魔されずに例え一人であっても、一緒に来た人たちと隣り合わせでアトラクションに乗るわけでもなく、一人先頭で真ん中に座るあたりも自分らしい。満足気な笑顔である。

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先頭を走っているようではあるが、一番手前の自分は相当なカメラ目線である。集中しているようで、常に他のことに注意を向ける性質も今につながっている。

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ついつい「子供の頃」はと切り離して考えがちだが、実際には人生は常に連続性をもっていて、今日の行動や決断が明日の結果に繋がり、その繰り返しで年を重ねていく。だとすると「高齢者」というのも同様で、年齢で分けて「こういうことを望んでいる、感じている」と考えるのではなく、カメラ目線で走っていた子供が年を重ねただけなのだから、気持ちもその当時のままであるし、変化したと思われる気質も連続性の中で少し形を変えていったに過ぎない。

年齢を重ねると、なんらかの気質が極端に突出しているようにみえてしまうのは、生まれながらに持っている気質からいくつもの選択を繰り返し、それを環境や周囲が了承してくれているからこそ、その気質を維持出来ているだけなのかもしれない。

看護師社長物語 ~番外編 その6~

講義や講演などで自己紹介をする際「子供の頃からマイクを持って人前で歌ったり、話したりしていました」と様々な写真をお見せすることがあったが、今回新たに、小学校の運動会であろう場面の写真を発見!なんの役割で、何を話したのかは覚えていないが、満足げに振り返る私。

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話しやすい位置にマイクコードを引っ張る私。

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右側に生徒たちが並んでいるので、何かアナウンスしている模様ではあるのだけれど、机の上に台本らしきものが見当たらない。自分の思いつきで話しているのだとしたら、これは誰に許可されたのか?もわからないけれど、この後ろ姿を見るだけで、今とあまり変わらない自分を見ることができる。なんだか大好きな一枚。

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凄く緊張して震えることも未だにあるとはいえ、不思議なほど、マイクを持って話すことが自然に思えるのは、やはり多くの経験がこうさせていたのだと思う。

看護師社長物語 ~番外編 その5~

「母 敦子物語」の番外編とも言える今回。子供の側から言わせてもらうとバージョン。

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「思い出重視」「物より思い出」は少し大人になってから理解出来たが、幼少期は、いきなり学校を休まされたりするのは驚きと困るなあという感覚である。しかも、混雑した頃の海より、人より先に海を体験!と毎年、海開き前に海に行くというのは無謀なのだ。なぜなら、海開きの頃は水温も人体にとって問題ないとか、適しているということも考慮されているはず。よって「さー海開き前に海に行くぞー!」なんてランドセルをしょった後に言われるのは、子供としては「えー困るー」なのだ。でも母にそんなことを言ったら寂しい気持ちにさせてしまうことぐらいわかりきっている。子供は子供なりに気を使う。よって、その提案に素直にのるわけである。

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毎年、砂浜に埋めてもらったりするのも悪くはないのだが、まだ水温の低い冷たい海で泳いだりするのは案外苦痛なのだ。でも、母のためにも海で楽しむ子供でいなければ!母は泳ぎもしない、そもそも水着も持ってきていないのに海に連れてきてくれているんだから!という軽いプレッシャーの中で、寒くても海に入る。

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浜辺に座って、サングラスをかけながら「楽しんでいる風の子供」を見ている母の姿を眺めながら、今回も満足してくれたかな?と思う子供心なのであった。