母:敦子物語 Vol.63

当時は携帯もなく、寮生活を始めた友は部屋に電話もなかったため、連絡を取るのも大変だった。こちらから寮に電話をかけると4階に住んでいる友は1階まで降りてきて電話を取る必要があり、友から寮の中にある公衆電話から電話を使ってかけてくるというのが通常であった。週末などは、車で寮まで行き、一緒に食事をして帰って来るということもあったのだが、それも極たまにという感じになっていってしまった。最初の一年間は、仕事をしながら自分で決めた看護予備校に通っていたこともあり、忙しくしていたようであった。

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そして翌年になって、仕事と寮はそのまま継続しながら、准看護師の養成学校に通うということにしたと本人から聞き、働きながら看護学校に通う以前の自分と同じ道を歩むのだと知った。自立という意味では、この時には既に生活も学校も自分で行うという意識も本人が強く持っていたので、自分が思っていたようには育てられた自負はあったものの、頼ってきたり、泣きついたりもしてこない子供をたくましく育ったものだなと思った。

時には自分の会社の同僚との飲み会や、カラオケに友も参加したりしていたので、少しずつ大人同士の付き合いにも参加出来るようになっていく姿もみるようになっていったのであった。