母:敦子物語 Vol.2

母の名前は敦子(あつこ)昭和17年8月生まれ。

戦時中、祖父母が中国に渡っている間、敦煌で出生したので名前に「敦」の字が入っている。

祖父は警察官だった。若かりし日の祖父は、スラッと長身で格好もよく見栄えのする人であった。白い制服で馬に乗る姿はとても凛々しく、日本に戻ってからも、祖父母は二人で苦難を乗り越えたこともあってか、夫婦仲もとても良く会話もある明るい家庭だった。祖父は母のことを「あつんべえ!」と呼び、お互い似た性格だったことも嬉しかったのか、とても可愛がって育てた。

その後、妹が出来、弟二人も生まれ、いつの間にか5人兄妹の長女になっていた。

 

IMG_7634

ある日、祖父は警察官を辞めて、自ら事業を行った。創業当初から事業が順調だったこともあり、生活はより豊かになっていった。小学校低学年くらいまでは、靴は靴屋で足型を取り、あつらえて作ったり、食事もいつも満足がいくまで食べることが出来た。家の手伝いも「お前は何もしなくていいんだよ」と言われ、家事は全て祖母が行っており、食器洗いや洗濯など、何も自分ではしたことがなかった。

家庭が穏やかで明らかに他の子供たちより恵まれた生活を送っていたが、その時は、それが日常だったので「恵まれていた」と気付いたのは、それから数年後であった。

生活が一変したのは、祖父の事業が失敗し、廃業に追い込まれてからである。突然のことに戸惑う余裕もなく、生苦はみるみる苦しくなった。大きな家に住んでいたのに、その土地を離れて小さな家に引越しもすることになり、祖母は看護婦の資格があったので仕事を開始した。

すると、小学生の母はいきなり長女として、まだ幼い妹、弟の面倒を見ること、家事をすることなどが役割となってしまった。しばらくは状況がつかめず、何故こんなことを自分がしなくてはいけないのか?何故こうなったのか?そんなことを祖母に聞いても「とにかくやるんだよ!」と怒鳴られるだけだった。

食器洗いの方法も、洗濯の方法も教えてもらったことすらなかったのに、いきなりやれ!と言われてもうまく出来るはずもなく、非常に戸惑いながら少しずつ自ら方法を身につけていくしかなかった。祖母も急な生活の変化に戸惑っていたとはいえ、失敗すれば怒鳴られ、幼心に非常に傷ついた。

寒空の夜、弟をおんぶしながら、冷たい川の水で食器やタオルを洗いながら「どうせしなければならないことなら、なんでもっと小さい時から洗濯や、食器洗いの方法を教えてくれなかったんだろう?」と思いながら涙した。

 

※母の幼少期の写真が手元になかったので、私の幼少期の写真を使用。