Night of Wakayama

数年前、和歌山県内で師長をしている彼女と知り合わなければ今日の夜もまた全く違ったものになっていたんだな。。。と話しを聞きながらふと思った。良い出会いが人生をまた一歩進ませてくれる。

看護に対して熱い思いを持ち続ける人の話しは、いつになっても刺激を受ける。

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(和歌山近海で取れたお刺身)

多くの人に好かれ、周囲をサポーターに変えてしまう彼女は、今また新たな挑戦を開始していた。リーダーにふさわしく彼女は常にビジョンがある。一緒に来てくれた後輩の方も、いかに師長の存在が大きいかということを語ってくれた。

普段会うことはなくても、離れた地で、看護を良くしてきたいという人がこうして日々現場で葛藤を乗り越えている。まだまだやることはある、やれることはある、と思った和歌山の夜でした。

 

ボランティア制度

アメリカ等では確立されているボランティア制度。ボランティアは良いことだとか、意義があるというだけではなく、制度化されているということが発達する要素なのだろうと思う。医療系の学生であれば、学生中のボランティア活動なども評価されたり、医学生であれば、強制的にボランティア時間がなければ単位が取れないようになっているという話を聞いた。これも、まずは行動を通じて、実際に動いてみてから重要さを知ったり、知識や感情へ繋いでいけば良いという考え方の一つであろう。良いことだからやりなさいでは、実際の行動まで結び付き辛い。

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日本でも、清掃や美化に関する制度、教育がとても発達しているから「綺麗が気持ち良いこと」と思える国民を作っている。特に海外に行くと、清掃や美化の感覚があまりにもないことに驚いてしまう。これも、あくまでも制度やシステムが先なのだ。行動しながら感情を作っていくということであれば、医療機関等でもボランティアが進んでいないのも、日本の制度がそこに注目してこなかったからだけだ。医療は、いつでも誰でも突然必要になってしまうものでもある。だからこそ、学生のうちから、医療に関わるボランティア活動を通じて、困った人を助けたり、医療を必要とすることが案外身近にも起こりうることを知っておく環境が整備されれば良いなと思う。

看護力不足は、何も看護師の数を増やすだけで解決するのではない。。看護に関わる人を様々な方面から増やすことで、全体的に不足している看護力を充足させていくことが理想であると思っている。生き生きとボランティア活動をしている学生さんの姿は清々しく、こうした方々の力を日本も必要としているのだと感じる。

明るい医療現場

日本の医療現場に比べて、海外の医療現場は明るいと感じる。楽しんで仕事をしているという雰囲気が伝わってくる。シリアスな現場だからこそ、医療スタッフの明るさが救いになったりするのではないか?と最近は特に感じるようになった。楽しむ、明るくというキーワードは看護学生時代から教えられることはなかったし、医療現場で勤務する人間がそういうことを言うのは不謹慎だと言われるような恐怖があるのも事実だ。

しかし、自らの職業に誇りを持ち、楽しんで仕事をすることは非常に素晴らしいのだと今は強く思う。

(ベッドを移動する機械の前でポーズする移送チームの方)

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(自分が任されている範囲は完璧に綺麗にする!と自信を持って働くクリーンスタッフ)

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自分が医療現場で直接勤務している時は、仕事を楽しいと思っていたが、周囲を明るくしようという所までは至っていなかった。特に患者さんに気遣うことにおける明るさは大切だと思っても、同僚間や病院全体の雰囲気を明るくしようとは思っていなかった。ここ最近は、外部スタッフとしてや、知人の見舞いで病院を訪れるため、余計に病院や医療スタッフの暗さに気付けるようになったのかもしれない。緊張感の中で勤務を行っている医療従事者だからしょうがないと思っていたが、本当にそれで良いのか?と感じることが出来るのも、自分自身がインサイダーでもあり、アウトサイダーでもあるからなのだろう。話しかけづらい、挨拶すらしづらいという日本の医療現場を明るくするというのはひとつの目標である。

日本の医療、看護は本来素晴らしい。どの海外よりも勝っているといくつもの病院をみても思える。ただ、表現力が乏しいのは事実だ。例えて言うなら、すごく美人なのに、無愛想なので美しさを表現し切れていないということだろうか。自らの美しさを理解し、きちんと表現出来てこそ美しさを共感し認めてもらえるのだから。

嗜好の変化

子供の頃から今も継続して好きなものもあれば、完全に変わるものもある。食べ物しかり、映画しかり、趣味しかり。自分が好きなことは何か?ということをじっくり考える時間というのも普段はそうそう無いので、出張中は良いチャンスでもある。そして、こうした嗜好は案外コロコロ変わっている。

以前はフルーツプレートをオーダーするなんて信じられなかったが、シンプルで清潔な果物がある所では好んで頼むようになった。卵もオムレツやスクランブルエッグより、ゆで卵が好き。多分、油を使っていないからだ。

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映画の趣味も随分と変わった。ちょっと前までシリアスで重めの映画が好きだったが、最近はコメディーや事実に基づく感動ドラマみたいなものが好きだ。機内でも海外コメディを選択する割合が多く、声を出して笑ってしまい「はっ!」と気づいて周囲を見渡すこともある。これも10年前でも考えられなかった。映画や音楽は、自らの明るい部分、暗い部分のそれぞれに響くものを求めると思うが、刹那的なものに憧れた10代〜30代前半は、何もかもに一生懸命ではあったが、何に向かって進めばいいのか見えずに苦しかったからこそ刹那が響いた。人生の目標を見つけた30代中盤〜現在は目標が明確にあるのでそこに向かって進めば良いので永劫に惹かれるのだろう。

人生は岐路における自らの選択と、出会いによってほぼ決まる。嗜好もその中から少しずつ変化していく。だとすると、健康嗜好や明るい嗜好になるというのは、これまでの選択や出会いのおかげなのだ。

印象的な景色

記憶に残る景色というのは、いくつかある。以前とても気に入っていたのが、ニューヨークのセントラルパークを上から眺められる景色だ。冬で雪がちらほら降る中、歴史を感じる建物と、公園の木々が美しく調和していた。美しいと一言で言ってしまうのは簡単だが、その雰囲気に溶け込んでしまうような気持ちになったものだ。ロンドンの街並みを一望出来る場所からみた景色も印象的だった。時間が止まってしまっているような空間、この時代だからこそ一望出来るその場所が奇妙に融合していた。

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最近では、シンガポールに初めて訪問した時と現在の変わりようを眺めるのも好きだ。どんどん時代は変化しているのだと街全体が伝えてくれる。思えば、最初にベトナムに降り立つ機内から、色とりどりのネオンがきらめく街並みをみた時も鳥肌がたった。ベトナムに降り立ち、その熱気と活気で自分の頭もボンヤリしてしまいながら、街の発するパワーに飲み込まれていた。

様々な景色から、自分の立ち位置を改めて俯瞰することが出来る。

看護師社長物語 Vol.193

派遣先では、最後の最後までグループ病院に留まるようにと説得をされたが、どこも東京に帰ってしまえば通える距離にはなかったので丁重にお断りすることにした。数ヶ月の経験ではあったが、この病院で見たこと、体験したことが、その後のより強いモチベーションに繋がっているので心から感謝している。いよいよMBAに通う準備を開始するために学校に通っている間の住居と、職場が必要になった。住居はその当時は日本では新鮮だった、半シェアハウス的な物件に決めた。部屋にトイレやお風呂は完備しているが、キッチンと洗濯機は共有するというスタイル。

(器もユニークで美しいフォー)

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職場は、まずは派遣で美容のクリニックに通いながら、じっくり探すことにした。夜間は学校に通う都合があったので、昼間だけの職場であること、極力、起業後に役に立つ職場であることなどを条件に、当時お世話になっていた派遣会社の中で、一番大きかった会社へ履歴書を送った。人事の方の面接後、最終面接で、女性が面接してくれ「起業したいのでこちらで勉強したいんです」とストレートに伝えたら「いいんじゃない!」と明るく回答してくれたのだが、入社が決まり驚いたのは、その女性が会社の社長だった。この会社は有難いことに、社員でありながら、休みの日には派遣看護師として、案件の中から仕事に行くことも出来たので一石二鳥に学べるということでもあった。

看護師が勤務出来る職場の仕事はなんでも見ておきたいと思っていたので、この上ない職場に就職出来て、これで起業までここで学べる!と安心していた。

身近になった海外

30年間拒絶していた海外が、今となっては随分と身近になったものだと思う。一旦振り切ったことをしたお陰で、それ以降の抵抗感はほぼ薄れたと言っても良い。もちろん、縁のない国というのは未だにあるが、それでも多くの国から学ばせてもらっていると今は実感する。

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シンガポールは、日本語が通じる病院もあれば、気軽に受診出来るクリニックのようなものが沢山存在する。最初にシンガポールに行った時は、年間500人も准看護師を養成するという看護学校の見学だった。人材育成方法も限りなく無駄を排除されており、どうも日本には馴染まない感じがしていた。今となっては、何故あのスタイルが確立されたのかを理解することが出来る。それ以降も様々な国の看護環境を調査しているが、どこも効率的に、それでいて看護師の業務がより明確になっていっていると感じる。日本の看護が悪いというのではなく、海外の良い面、日本の良い面をミックスしていかなければ、携帯電話同様にガラパゴス化するのではないか?と感じている。

問題があっても無視し、これ以上はないと思ったらその先にはいけないのだから。

看護師社長物語 Vol.192

派遣先の病院では、頻繁に緊急手術が入っていた。予定手術以外の緊急手術であるが、当然ながらスタッフは限られている。スタッフも夜中、朝方に一旦、寮に帰るということや、そのまま継続して翌日を迎えるというようなこともあったので、とても疲労していた。常勤スタッフの支えになるためにも、周辺業務は極力終わらせたいと思うが、結局、自分も次から次へと与えられた業務に振り回されてしまい、周囲を気遣うことすら出来なくなっていった。

(研修では当時の話もすることがあります)

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そんな時、とうとう一番若いスタッフが倒れてしまった。みんな顔色は悪かったが、思えば一番顔色が悪かったかもしれないと後になって反省した。疲れていようと、顔色が悪かろうと、とにかく次々と来る手術に対応し、患者さんの命を救うために必死になって働き続けたスタッフが結果として、入院してしまうという悲しい現実だった。自分たちはいったい何をしているのか。。。と考え、自分も倒れないうちに一旦仕切り直そうと決めた。

ただ、当然ながら、メンバーも揃っていないのに、直ぐには戻れなかったが、現状の危機感をリーダーに伝えることで、他のグループ病院からスタッフが応援に来てくれるということになった。応援スタッフが数名来てくれるだけで、手術室の雰囲気がガラッと変わった。

やっぱり不足人員だけでなんとかしていては、患者さんに対して安全な医療は提供出来ず、スタッフは倒れ、誰も幸せになれないのだと実感したのであった。

看護師は不足しているのか?

私の知る限り、看護師不足と世間で言われている状態は、少なくとも20年以上続いている。長期間、不足の状態が続いたことでが常態化してしまい、医療スタッフも患者サイドもそれに慣れてしまったかのようだ。不足している中で業務を遂行するから、終わらない、休めない、突発的に休んだ人のカバーもするので、不健康なサイクルを生んでしまう。時代の変化によって、在院日数もどんどん短くなり、入退院のサイクルが早くなっているので、業務は忙しくなっているし、超高齢化になり患者数も増加しており、医療に求められる質もより高度になっている。よって20年前の看護師不足以上に、今の不足は本来深刻なはずなのだ。

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それをひとくくりに看護師不足と言うと、あまりにも長い間、耳にタコが出来るように聞いているので危機感などなくなってしまっているのではないか?と思う。看護師が充足している職場と、危機的に不足している職場の両方で勤務した経験がある私からすると、看護師不足している病院なり施設なりに入院するなんて怖くてしょうがない。治療は医師が行うが、医師の手足となり診療介助を行う看護師が少ないということは、医師への負担もかかる。また看護師の大切な療養の世話が抜けても、状態の変化を見過ごすことになりかねない。四六時中管理してもらえると思って入院しても、見守る人間の数が不足していれば、手薄になって当然のことなのだ。

今となっては、海外に行くことも増えたが、航空会社によって、人手が充足している会社と、不足している会社では明らかにサービスに違いがある。移動の手段であっても命を預けているのだから、人手不足なんて怖いと思う。充足していなければならない職場というのは確実にあるのである。

看護師社長物語 Vol.191

派遣で行く先の病院は、寮に布団のみならず何でも揃っているということだったので、キャリーバッグ一つで訪問した。病院のある駅に、事務の方が迎えに来てくれていて、病院や寮を案内していただいた。寮は普通のアパートで、事前に聞いていたとおり、洗濯機から洗濯洗剤に至るまで何でも揃っていた。部屋で持参した少ない荷物を整理しながら、目標のためとはいえ、不思議な場所まで来たものだなあと思い部屋を眺めた。

(海外の行列ラーメン!&ミニカレー)

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しばらくすると、再び病院の方に呼ばれ、看護部長と面会させていただくことになった。とてもソフトで温かい笑顔で迎えていただいた。今までの看護現場での話、将来したいことなどを話たが、部長はどうやら派遣期間後も引き続き病院で働いて欲しいと思っているようだった。人手不足の話を聞いて、申し訳なくも思ったが、これまた流されてしまってはと思い、丁重にお断りをした。その夜は、看護部長がひつまぶしのお店に連れていってくださり、長期間は勤務出来ないのにこれまた申し訳なく思いながらも、美味しく本場のひつまぶしをいただいた。いよいよ、翌日から勤務開始ということで、期待と緊張がまじりながら愛知での長い1日が終わった。

翌朝は、早速、手術室にて勤務となったのだが、当然ながら勝手が違う。ある意味、他の派遣の仕事をこなしていたのが嘘のように、全てに戸惑った。以前なら同様の規模の病院で5-6人の助手さんプラス看護師で行っていた中央滅菌材料室の業務を看護師一人でしかも半日で行うという荒行のような状況だったり、血管造影の部屋も手術室看護師が担当していたり、手術の数と看護師の人数が明らかにあっていなかったり、とにかく盛り沢山で1日にして昨日のひつまぶしパワーは切れてしまった。

東京で体験していた人手不足とはレベルの違う人手不足の現状を目の当たりにし、より一層、起業への決意がわいていったのであった。