看護師社長物語 Vol.19 ~幼少期~

同じ誕生日でも、両極端な一日を送ったことがあります。ある年は

「超主役」

そして、別の年は

「脇役以下」

両日とも小学生だったのに、何故こんなことになったのか!それは、私のオーダーミスから始まりしました。「超主役」を味わった誕生日はドラマのように、友人を大勢呼んで、食事をし、ケーキのロウソクを吹き消し、全員から誕生日祝いをもらい、母の友人からは「ドラえもん」の単行本を全巻セットでもらい、家の2Fでディスコ大会を開催し…と思えば、人生最大級の誕生日を経験!(これ以降、こんなに誕生日らしい誕生日を経験したことが無いかも…)

というのも、私は誕生日をかなり前から意識し、親に盛大な誕生日会を開催したいことを伝え、食事、ケーキ、プレゼントに至るまで入念な打ち合せをしたのです(うちの親は基本的に子供が真剣に行う提案は、かなり受け入れてくれる方でした)故に、自分の描いた通りの理想的な誕生日パーティが無事終了。

翌年からは、それほど誕生日に気合いも入らず(多分、企画や招待状などの手間で疲れたのだと思います)まーケーキとプレゼントがあれば十分だな。という位でした。それでもきちんと伝えることにより、希望通りのプレゼントは買ってもらえていました(おもちゃのタイプライターなど)ところが!ある年、そのオーダーをせずに誕生日当日を迎えたのです。

希望するような物品も無かったというのが、理由ですが、その年は「まー親が何かプレゼントは考えてくれれば、ケーキと誕生日らしい夕食があれば十分か」と思っていました。

その日は日曜日

親と町へ買い物へ。しかし、親の様子が何だかおかしい。普通に家電製品などを見ているし、何だかプレゼントを購入する気配がありません。そこで

「今日何の日か知ってる?」

と母に質問すると

「今日は日曜日に決まってるでしょ!」

との返事…

まさかなー忘れているわけないよなー。と思い、「そっか!誕生日プレゼントは既に購入しているんだ!」と思いかえしたのです。そこで普通の買い物のみで家路へ。いよいよ夕食の仕度が始まりました。はたまた様子がおかしい。冷蔵庫にはケーキも無い…

「まっ!まさか!」

と若干、不安になった私は夕食の献立を確認しました。そこで愕然として言葉を失ったのです…

献立は、「モヤシ炒め」と「鳥のからあげ」

普通です。いや、むしろ普通の日より全然少ない!というか全部、黄色っぽい(涙)そうです。私の誕生日は虚しくも忘れられていたのです。そして、日曜日の夕食にあるまじきメニュー。凄く覚えやすい誕生日を忘れる親がいるなんて!!と、悲しみのどん底に落ちた私は食事が始まって数分後。

「今日は私の誕生日だったんだ…」

と打ち明けました。「えーーーーー」と驚く親をみて、驚いたのは私だよ!と心の中でつぶやきながら、提案の重要性を認識。この事がきっかけとなり、分かったことですが、うちの親は基本的には誕生日とか全く覚えていない!というより、この事件後、父は覚えてくれるようになりましたが、母は全く変化なし。

親だから○○という固定概念を持っていた自分と決別し、自分がしたいこと、覚えておいて欲しい日にちは自分から積極的に働きかけなければ!と認識した事件でした。

看護師社長物語 Vol.18 ~幼少期~

その日は、商店街で福引きをやっているということで、母に福引券をもらい商店街へ!

数名の人が列を作っていましたが、みんな ”はずれ” のようでした。私は自分の順番がくるまで、みんなのガラガラ福引きを回す腕の降り方や、勢いなどを注意深くみていました。

あの人は早く回転させすぎだ

とか、

あれじゃー中身が混ざらないな

なんて、一人解説をしながら待っていると、いよいよ自分の順番がやってきました!ドキドキしながらも事前学習の成果をはっきしようと、慎重かつ大胆に福引きを回しました。

すっすると!数回目になんと一等の

賞金1万円

が大当たり!事前学習の効果だな~なんて自我自賛しながら一等の賞金を受け取とり、後ろを振り返ると、そこには、数名の友人が笑顔でこちらをみていました。こうなったら、いくら幼い私といえども、笑顔の友人に何かおごらないわけにもいかず、数名をつれて小売店の並ぶマーケットへ!

肉屋で、その当時に流行っていたキャラクターの箱にはいった3本~5本入りの魚肉ソーセージを購入!一人一箱購入すると、友人たちが、すれ違う別の友人へ自慢。っとなると当然

いいなーずるいーー

という話しになり、結局数は増え続け、安い魚肉ソーセージやおかしなどを、数千円分買うことに。

そのまま帰宅する訳にもいかず、全て食べ尽くしてから怒られるのを覚悟で帰宅。

こっぴどく怒られました。案の定(笑)

まー状況を説明しても、あの友人達の笑顔を描写できる訳もないし、買わざるおえない!と女気?(そんなのないか)をきったのは自分なわけだから、黙って嵐がすぎるのを待とうと決意!(こう思っていた時点で反省の色があまりなかったのかと今気付く)

結局残った数千円はその後お米を購入し家にも僅かばかりの利益をもたらすこととなりました。

あれ以来、福引きの一等は出ていないなー。

看護師社長物語 Vol.17 ~幼少期~

親に内緒で通っていた場所。それはデパートのおもちゃ売り場!

休日、親と一緒に行くと、おもちゃ売り場は殆ど素通りか、短い時間しか滞在出来ません。そこで親にねだって時間を延長してもらうより「一人」で行くことを決断しました。思えば、かなり小さいうちから

映画・プール・スケート

などは一人で行ける子だったので、デパートなんてハードルの低い場所だったんです。しかし電車に乗って、町まで出なければならないので、お小遣いの範囲で町へ繰り出すには週に一度位が限界でした。おもちゃ売り場で買いたいものがあるというよりは、いろいろなおもちゃで遊びたい!という気持ちでした。購入すると、それ一つで遊ばなければならないし、親に欲しいものを言うと、何だか別のものになってしまうこと(リカちゃん人形が欲しい!と言ったのに、モンチッチを買ってきたり)もあり、所有は好みませんでした。

ある日、いつものように、おもちゃ売り場で満足するまで遊んだ後、電車で帰ろうとしたら「財布が無い…」ポケットに入れておいたはずの財布がなくなっているんです。そこで私はデパートの1Fにある受付のお姉さんに相談。「お母さんは?」などと聞かれながらも「一人で来たの!」と事情を説明し、館内アナウンスにて、財布を捜してもらうことに。

待つ事1時間程度。

館内アナウンスまでしてもらったのに、財布は出てきませんでした…困りながらも、お金が無いので帰ることも出来ず、受付のお姉さんに再度相談すると、従業員用の廊下を進んだ先に、公安室だか?事務所だか?があるとのことで、私はワラをもすがる思いで、その部屋に行ってみました。そこには、年配のおじさん2名。事情を説明し、1時間ほど待ったが財布が出てこないことを告げると、おじさんは自分のポケットから5百円を出し「これで帰れるか?」と聞いてくれました。

「うん!」

と元気よく答え、助かったーーーという思いで家路へ。今思えば、親に電話して迎えにきてもらうという選択もあるはずなのに、あの時は、これっぽっちも、その選択が浮かばなかった…いや、むしろ何が何でも自力で帰らねば!と思っていたな(笑)

この事がきっかけで(バチが当たったんだ!と思い)一人デパート通いは終了!

看護師社長物語 Vol.16 ~幼少期~

「お菓子は、どんなに買っても、どんなに食べても言いんだよ」

という親の言葉は、子供にとって強烈に魅力的な甘い誘惑のようでもありますが、私にとっては大した威力はありませんでした。もちろん、この言葉は嘘ではありません。きっと、いくらでも買ってくれたでしょう。

しかし、この言葉には続きがあるのです。

「お菓子で、ご飯が食べられないとか、ご飯を減らしたら、二度とお菓子は買わないよ♪」

そう。このセリフが、親の伝えたい「真意」であることくらい分かっていました。通常、そうは言ってもお菓子を食べすぎて、ご飯を食べられないからと言って、本当に次からお菓子が食べられない家なんて無いと思います。が、我が家の場合、何だか本当に食べられなくなるかも…という

「暗黙のプレッシャー」

があったため、間違っても多く買いすぎる、もしくはちょっと多く買ってしまっても、ご飯を残すなんてことはありませんでした。しかし、別に恐れてお菓子を食べない訳でもなく、駄菓子屋では毎回100円分、喫茶店に連れて行ってもらえば「スクランブルエッグピラフにミルク」(定番)、コーラーアップ(今あるのかな?)を2袋連続して食べて、口の中がしびれる、などなど食事以外でも結構いろんなものを食べていたなー。

単に大食いだったのか!(笑)

看護師社長物語 Vol.15 ~幼少期~

小学校3年生の1学期が終了するときに転校することが決まりました。

私にとっては、多くの思い出が詰まっている土地でもありましたが、やはり「転校生になれる!」ということがとても特別な体験な気がしてワクワクしていました。

そこで親に言われたこと。

「転校すると先生に言って、自分で手続きをしてきなさい」

「・・・」

言われたら、やらない訳にいかないことくらい、小学校3年生にもなれば理解しています。そこで先生に状況を伝え、転校の手続き(実際にどんな書類があったのかは覚えてないけど)に必要な書類をもらったり、それを親に書いてもらったものを、また学校へ届けるという、まー大して難しくもない一連のやり取りを済ませました。

しかし!私は知っていたのです。転校生はいつも、何かクラスメートに「お別れの品」を渡していることを。そこで、そんな準備を考えているとは思えない親に「転校する時はクラスの子に何か渡すんだよ!」と伝えると、「そうなんだ?じゃー買えば?」という何とも軽い回答(笑)

そこで、母とスーパーへ!

鉛筆やら、定規やら文房具がいいな!と決めていた私は、いろいろな品を手にとり、どれがいいか選んでいました。転校の手続きも自分でしたんだから、お別れの品もきちんと自分で選ぼう!と結構真剣に選んでいましたが、結局選んだのは

「大学ノート」

と、いうのも鉛筆だと一本というわけにもいかないし(その当時シャーペンなんて使ってなかったな)定規は人数分売っていない。ノートも可愛い絵の描いてあるものは、好みがあるだろうなぁ?なんて思ったり…結局、値段も考え(一人頭で計算)別に何の特徴もない普通の大学ノートに決定しました。

最終日は自分で、クラスメート分のノートも自分で持って学校へ行き、皆への挨拶のあと、袋からノートを出して配リ終わると、何ともいえない

「達成感」

がありました。悲しさよりも、何だかやるべき事はこれで全て終わった!というような気持ちで帰宅した小学校3年生の夏!

看護師社長物語 Vol.14 ~幼少期~

誤解されやすい?というのは天性のものだと思っています。

足が速くもないのに、「速そうだから!」という理由でリレー選手に推薦され、どんなに嫌がって「遅いから!」と主張しても聞き入れてもらえないことも多々ありました。(もちろん、当日は何人にも抜かされ皆から白い眼で見られます…涙)「強そうだから!」という理由で、探検では先頭を歩かされたり(凄い怖がりなのに)していました。その誤解の一つに「知っていそう」というものがあった…

ある日、自転車で母親と買い物へ行く途中、商店街に向かう坂道を降りていた時のこと。それぞれ、別の自転車で走っていたのですが、坂の途中で、フッと「自転車は道路のどっち側を走るんだっけ?」と思いついた私は、母に質問してみました。というのも、私が走っていた側と、母が走っていた側が違ったからです。

「お母さん!自転車ってどっち側で走るんだっけーー?」

と、大声で質問する私に母は一言。

「嫌味な子だねーー(笑)」

との返事。

「誤解だーーーーーーーーーー!」とは叫ばず心の中では「勘違いされた…」っと動揺。

そう。私は左側走行をしていたんですね。今から思うと…しかし、嫌味がどんなものかも分からないときでもあり、自分が合っているときに、相手に質問すると「嫌味」ととられて、傷つける可能性があるのか!と何ともショッキングな

「初めての嫌味」(初めてのお使い風)

を体験!。嫌味の使い方を実践で学び、また一歩大人へ近づいたと実感した一日でした♪

看護師社長物語 Vol.13 ~幼少期~

銭湯に行くことが、クラスの中でブームになったことがありました。学校が終ると一度みんな帰宅し、夕方になると、銭湯の前に集合します。小学校低学年の子供が数名でに押しかければ、そこは必然的に大遊技場と化します。大体毎度2-3時間コース!タイルの上に石鹸をつけて滑って遊んだり、湯船に誰が一番長く入っていられるか競争したり、脱衣所にあった「ぶらさがり健康器」で鉄棒もどきの運動をしたり(今思えば危険かも)と銭湯内にある全ての設備をふんだんに使用し、遊んでいました。

女子から始まったこのブームも、いつしか男子へと伝播し、銭湯前には男子も集合するようになっていました。中では当然別々なのですが、湯船に入りながら、男湯と女湯で会話をしたりすることも子供ながらの楽しい一時。

ある日、「どちらが早く銭湯から出てこれるか競走しよう!」と、男女で競争することになりました。ルールは2つ。

★全員が同時に出てくること

★全て洗ってくること(頭を洗わない、湯船に浸かるだけというのは無し)

ここで、女子の作戦としては(思えば何ともバカバカしいけど)「はやはや戦法」でいこう!ということに決定したのです。この「はやはや戦法は、女子で考えた相当な優れ技?で、

1)頭からお湯をかける

2)シャンプーで頭を洗う

3)泡だった頭のまま、体を洗う

4)再度頭からお湯をかけ、一気にシャンプーと石鹸を洗い流す

という、通常なら頭と体へ別々にお湯をかける手間を一気に行うことで、大幅な時間短縮になるというものでした!(やぱりちょっとおかしいな…しかし当時は真剣)

アイスをかけた戦いはスタート!

当然?の勝利を女子はこの作戦のお陰でおさめました☆

しかし、男子は銭湯に入る前は、とてもやる気で、はりきっていたのに、出てきた時には、のんびりとして、全員が戦いのことなど忘れているようでした。女子は全く訳が分からず「負けたんだからアイス買ってね!」というと「分かってるよー」との返答。

・・・

ますます訳がわかりません。悔しがるでもなく、全員が楽しそう???そこで、男子に理由を聞くと、何とも衝撃の答えが!

「はじめは皆で急ごうと思っていたんだけど、お風呂に入ったら気持ちいいし、せっかく皆で来たんだから、急がずにゆっくり入っていこう!ってことになったんだよ」

なっ!なんと大人な発言…

アイスをおごってもらうのも恥ずかしい気持ちになりつつ(しっかりおごってもらいましたが)「楽しむ」ということの素晴らしさを別の視点から、男子に教えてもらうことになり、これ以降、男子の発想に一目置くという大きなきっかけとなりました。

この後、数日で銭湯ブームは子供達の中から消え去ることへ…

日経産業新聞に本日掲載!

A-LINE株式会社の新しいサービス「A-LINEカウンセラー」 http://www.aline.jp/20070111_pr.htm の記事が、本日の

日経産業新聞

に掲載されました♪

昨日の夜に、最終チェックの連絡が日経からあったので、今日は朝からソワソワして、いつもより早く家を出ました。途中のコンビニでは新聞が売っておらず、会社のすぐ近所にある、最近とてもお世話になっている日経の販売所?のお店へ!(このお店は日経の本や新聞しか置いていないのですが、店員さんがとても親切でくつろげるラウンジも中にあるんです)しかし…そのお店の開店時間は10時…

読みたい。

一刻も早く読みたい。

そう思った私は、茅場町に通勤してくる人の流れに逆らい、会社から駅へ向かいました。そう。途中のコンビニ数件でも、日経産業新聞がないということは、

駅だ!

と思いついたわけです。そして、地下鉄の茅場町駅へ到着。駅員の方に

「すみません、新聞を買いたいので、中に入ってもいいですか?」

と、伺うと忙しそうな駅員さんは「どうぞ!」と優しいお言葉♪(新聞を買うだけで入場券はもったいないか!という気持ちもありましたが、そもそも地下鉄に入場券ってあるのかな?)構内の売店にて新聞を発見♪「やった!」で、財布を開けると小銭が無い…(こんな日に限って)忙しい朝の売店で一万円札を恐る恐る出す迷惑な客に、とても手馴れた売店の方はこれまた嫌な顔一つせずお釣りをくれました。(ホッとしたなー)

会社に帰る途中で、どうしても待ちきれず、歩きながら新聞を広げると、そこには

「ネットで悩み相談・A-LINE離職防止に一役」

のタイトルが!「おーーーーーーーーーーー!」という言葉はさすがに朝の通勤者で溢れる茅場町では発することは出来ませんでしたが、気持ちの中では叫んでました(笑)

相当朝から興奮しながら、事務所へ戻る道すがら、目の前から仲良く笑顔で会話をしながら、手を繋いだカップルが歩いてきました。背の高い男性と、笑顔で寄り添う女性。とても幸せそう♪しかし、その姿を見て思わず、

「今の自分には恋愛じゃーここまでドキドキできないかも」

と、再度新聞に目を戻す自分…いいのか?(笑)まっそれが良いか悪いかは別として、今回の記事もまた、新聞社の方をはじめ、私の話を真剣に聞いてくださった方々のお陰で世に出ることが出来ました。サービス内容やシステム上のことは会社の中で考えることが出来ても、プロモーションに関しては本当にいつも周囲の方にお世話になっています。今回の記事も私のつたない説明を元にとても簡潔に伝わり易くまとめていただきました。

記事に至るまでお手数をお掛けした新聞社の方、記事を書いて下さった方、本当に感謝しております。そして、購入に至るまでの駅員さんと売店の方のお陰で、今やっと手元に新聞をおくことが出来ました。関わっていたただいた皆様。本当にありがとうございました。

ちなみに、看護師社長物語は2日間お休みさせていただきましたが、又再開いたします♪

A-LINE株式会社

「看護師社長の中友美です。看護師の素晴らしさをみなさんにもっと伝えたい!」

昨日より一週間、

起業家ブログ http://www.kigyoukablog.jp/ 

にて、私のブログを紹介していただいていますので、初めてブログをお読みいただく方にもご理解をいただくために、今回は弊社について、少しご説明させていただきたいと思います。

A-LINE株式会社

2006年1月設立

http://www.aline.jp

看護師は医療職の中で最大数を誇ります。(130万人以上)他の医療職(医師、薬剤師など)を合計しても、看護師の総数にはとてもおいつきません。看護師として10年ほど勤務した中で、看護師が満足して勤務出来ない病院や医療現場は、患者さんにとっても望ましい医療が受給出来る場とは言えない…と感じていました。

看護師は患者さんの最も身近な場所で、看護を提供しています。その看護師が幸せになることで、医療におけるエンドユーザーである患者さんへ最善の医療を提供できる!と信じて、A-LINE株式会社を創設いたしました。看護師の持つ医療知識や、看護師が大切にしている患者さんへの「看護」を多くの方へご理解いただくには、まず「看護師とは?」という部分の看護師側からの情報発信が必要だと考えております。

現在、看護師専用のSNS

http://www.aline.jp/3rdplace/?m=pc&a=page_o_login

を通じて、看護師間のコミュニケーションをはかるとともに、今まで連携の取れなかった勤務場所の違う看護師や、潜在看護師と共に、未来の医療をより良いものとするために、看護師自らが医療を真剣に考えるネットワークを構築していきたいと考えます。

~弊社のミッションと経営理念~

【ミッション】

古い業界体質である医療業界にITを援用することで看護師の世界・環境を再構築し大きく改革・改善します

【経営理念】

看護師に笑顔と幸福を届けることで日本の医療に貢献します

看護師の社会的地位と経済的基盤を向上させます

~業務内容~

看護師専門ソーシャルネットワーキングサイト運営

A-LINEカウンセラーサービス(離職防止、職場定着を図る)

看護師および看護学生の雇用促進支援

看護師および看護学生のキャリアプランニング

看護師および看護学生の報酬交渉・移籍交渉

看護師および看護学生の生活支援

看護師および看護学生向け留学の企画、実施、運営、コンサルティング

一般労働者派遣事業許可番号 般13-301769

有料職業紹介事業許可番号 13-ュ-301363

看護師向け各種研修(採血、ツアーナース他)

看護師長マネジメント研修

看護師社長物語 Vol.12 ~幼少期~

そそっかしいと言えば、そそっかしかった。(いや、今でもその片鱗があるかも)

「お祭りやってるよー」

という母の言葉に心踊り、500円をもらって一目散で自転車にのり、家を飛び出した。商店街に行くとお祭りをしている様子が無い…

「あちゃ!一歩遅かったか!」

と思いつつも、自転車でぐるぐる走り回り、商店街を2往復くらいするものの、やはり祭りの様子無し。

ガッカリした私は、きっと来るタイミングが悪かったのだと思い込みつつも、せっかくもらった500円を何かに使おう!ファンシーショップへ!500円ピッタリいろいろと小物を購入し(使わないとお金を返さないといけない!と思ったんですね)更に近所をぐるりと一巡りしてから帰宅。

家に帰り

「どうだった?」

と聞かれたので、

「ちょうど終ったみたいで、これだけ買ってきた!」

と祭りとは何ら関係の無い小物を親に見せたところ、

「どこに行ってきたの?」

と聞かれたので、

「商店街!」

と答えると

「やっぱり…」

と嘆く母。「祭りの場所も聞かずに急いで出ていくから、場所分かるのかな?と思ってたんだよ」とのこと。そう、この日のお祭りは、普段の商店街ではなく、少し離れた場所にある神社で開催していたのです…(なんというドジ)

まーそれでも500円を使い切って戻ってきてしまった私は、再度お祭りに行く気にもなれず、購入した小物を広げて遊びながらも、

「次回は場所を確認してから飛び出そう!」

と、確認の重要性を知るきっかけになりました。

そもそも、何故こんな風にお祭りに敏感だったかというと、一つはお祭りの「太鼓」これはドラムを習っていた先生がやぐらの上で、太鼓を叩いていたことから、祭りの太鼓のリズムが好きだった♪こと。もう一つは「盆踊り」あちこちの祭りに一人自転車で乗りつけ、輪の中に入り、盆踊りを踊っていましたので(むしろ積極的に)盆踊りでの踊りは小学校1~2年にてほぼ完璧にマスターしてました♪

一人でどのお祭りにもドンドン出向いて、数曲踊って満足したら帰ってくるという充実した夏の夜が未だ懐かしい!